2022年12月19日〜25日

20日『RGが90分あるあるを歌い続け武将様とゴエ爺が戦国寸劇をやり続ける 豪華絢爛 師走の宴!』ルミネtheよしもとに行く。

 自分がいま胸を張って「ファンです」と言い切れる芸人は、武将様をおいてほかにいない。

 お笑いライブに通っていると、ときどき「芸人は”ファン”があまり好きではないのではないか」と思うことがある。何か具体的な行動からそう感じるわけではない。ワーキャー人気に対する拒否反応みたいな話でもない。もっと根本的なところで、芸人たちは"客”という存在をどこか疎ましく感じながらも客の反応なしでは成立し得ないお笑いという表現形式に魅入られているような、アンビバレントな存在に見えるときがある。

 もしかするとこれは自分が好きになりがちな芸人のタイプにもよるかもしれない。だから(だけではないけれど)、特定の芸人について「ファン」を自称することにいつもほんの少しの躊躇がある。でも武将様に関しては、一片の曇りもなくそう名乗れる。武将様は、全力で好きでいることを許してくれる。

 私は彼に「お笑い界の純烈」「ファンサの鬼」などの二つ名を勝手につけている。そのライブのホスピタリティの高さたるや。東京で行われる”宴”はこれまでのところ毎回RGをゲストに招いてゴエ爺(浅越ゴエ)と3人で行われている。そのパッケージは下記の通り。

 

客から「あるある」のお題を募る。お題がカタカナ言葉であればゴエ爺が「そういう言葉はわからんのじゃ、言い換えると何じゃ?」と客に”戦国言い換え”を促す

RGがカラオケに乗せてあるあるを歌い、その間に武将様が色紙に「戦国時代の◯◯あるある」を書く

曲が終わったのち、色紙の文字を披露してからRGへの御礼として武将様とゴエ爺が戦国諸芸を披露する

お題をくれた客に、武将様が「土産」として手づくりの小道具をプレゼントする

 

 この一連の繰り返しだ。コロナ禍以前は、お題をくれた客を舞台上にあげて、武将様とゴエ爺の間に座らせてあるあるを共に聞き、手づから土産を渡していた。”宴”の最後には手製の紙吹雪が舞い、撮影タイムまで設けられている。初めて行ったとき、あまりの多幸感にポーッとなってしまった。

 しかもただただファンサービスが手厚いだけではない。特筆すべきは「戦国寸劇」だ。別の芸人のギャグやネタを戦国バージョンにパロディするこのコーナーでは、武将様とゴエ爺の芸達者ぶりが遺憾なく発揮される。たとえば今回、「長き外套の若旦那」という題目で披露されたのは、ロングコートダディが前々日の『M-1』決勝でやったマラソンのネタだった。「もうこれやるの!?」とRGが驚いていたように、毎度セレクトしてくる元ネタの速さ・意外さ、そして完コピぶりがすごい。

 そして私が心から驚いたのは、サンパチマイクの下手側、つまり本家でいうところの堂前の位置についた武将様の立ち姿だった。羽織の裾を軽く握って少しばかり首を反らせたそれは、たしかに堂前の姿勢そのものなのだ。何度となく目にしているはずなのに、こうして再現されることによって初めて気付かされる。戦国寸劇ではよくそういうことが起きる。それを目ざとく見つけてさりげなくコメントするRGの存在も手伝って、元ネタにされたものをそのものたらしめている(しかしまだ具象化されてはいない)実は重要な部分を戦国寸劇は教えてくれる。まるで批評のようだとすら思う。

 武将様は武将様であることから降りない。ミサイルマンの名前は知っていたけれど、武将様という存在を知ったのは多分4年くらい前、『座王』を観始めてからだ。そこから東京で行われたライブには必ず行き、関西でやるのはなるたけ配信で見、祇園花月まで足を運びもしている。その中で武将様が不格好にキャラを崩されたり自ら降りたりして笑いをとることは一度もなかった。『座王』や『いろはに千鳥』などのテレビ出演時も同じだ。最初に知ったときからずっと、その徹底に感嘆し続けている。これは多分、キャラクターを剥がしたり揺るがしたりしたときに出てくるものを面白がりがちな東京のお笑い界では育ち得なかった在り方なんじゃないだろうか。兎にも角にも、お慕い申し上げております。

 

◯ほかに観たもの

M-1グランプリ2022 マンゲキメンバーアフタートーク』(漫才劇場/配信)

M-1グランプリ2022アフタートークin ヨシモト∞ドーム』(ヨシモト∞ドーム/配信)

『サノフェス2022 “新派” 』(LIQUIDROOM

『ネコちゃん軍団vs裏切りニュアンス軍団』(漫才劇場/配信)